学習塾自営 / 城西中学校PTA会長 / 日本公認 バスケットボールD級コーチ・審判
先生には中学~高校まで(
お勉強はあまり得意でなく…先生にご迷惑おかけしましたが、
今は家庭犬しつけインストラクター(
心塾生としては、かなり異色の部類だろうと自覚しておりますが…
私は幼少期から、動物と関わる仕事につきたいと思っていました。
両親からすると、何を言ってるんだ??本気なのか?と、
そのうちそんな事は言わなくなるだろう~という、
先生なら、そんな私でもうまい具合に(笑)
学習塾生としてははた迷惑な生徒だったかもしれませんが、
これを書くと、勉強してないようですが…
心塾に通って
よかったこと、学べたこと。
1.横の繋がりだけでなく、 縦の繋がりが出来たこと。
同世代で教え合うのはもちろんのこと、 面倒見のよい先輩方からも勉強を教えて頂きました。
また、お盆に開かれるOB-OG会で全く関わることのなかった世代を超えた繋がりが出来ました。
2.塾長の知識が幅広く、
3.勉強以外の人としての大切なことを学べたこと。
人として当たり前のことを当たり前にする大切さや、 社会人としての人間関係を学ぶことが出来ました。
4.卒業した今現在も相談に のってもらえること。
社会人になった今でも悩みや相談を聞いて頂けるような関係を築いている先生は小中高で出来なかったので、それだけでも心塾に通ってよかったとおもってます。
私は現在鹿児島大学大学院農学研究科に通う合原翔平といいます。中学校3年生の8月から心塾に通い始め大学に合格するまで勉強のみに限らず様々なことを新井先生に学ばせていただきました。
自分で言うのもおかしい話ではあると思いますが中学生までの自分は問題児でした。何度も生徒指導を受け、奉仕活動と称して何度中学校の職員室の前の廊下を朝早くから雑巾がけしたか数え切れないほどです。勉強に関しても自宅での学習時間はその日に出された宿題に手をつければいいほうで学校に行って友達の宿題を見せてもらっての提出が多かった記憶があります。中学校の授業を聞くだけでなんとかなると思っていた中学生の自分はまだまだ甘かったと今となっては思いますが当時はぎりぎりではありながらもなんとかなっていた現実に甘えていたのだと思います。そして、高校やその後の将来にも何の目標もなくなんとなく毎日を過ごして「高校も行けるところに行ければいいや」くらいの気持ちでいました。
そんな私が何をきっかけに変わったのかというと中学校時代に恩師と呼ぶ2人の先生に出会い「夢」ができました。その夢とは生徒1人1人と真剣に向き合える教師になることで、この夢は今でも変わらないです。しかし、中学3年生の私にとってはどうやったら教師になれるのかさっぱりわかっていませんでした。自分なりに先生に聞いてみたり親に聞いてみたりしたところ大学に行かなければ教師になるための免許である教員免許が取得できないことを知り、大学に行くためには勉強をしなければならないことを知りました。ただ当時の私にはどうやって勉強すればいいのかそもそも何を勉強すればいいのかさっぱり分かりませんでした。じゃあ塾に行けばいい、家庭教師についてもらえばいいなど安直な考えが浮かびましたが、私自身が大人数の塾や信用できないような学生などに教わるのを嫌っていて自分でどうにかしてやろうと思っていた矢先に母親が心塾のことを知り教えてくれてとりあえず体験に行くことになりました。初対面であった新井先生と会って、なぜかは分かりませんが「この人なら信頼できる」と直感で思ったことを強く覚えています。
心塾では勉強はもちろん数えきれない様々なことを学びました。特に記憶に残っているのは、今の大学に進学を決めた時です。もともと第一志望としていたのは熊本大学理学部理学科だったのですが、自己採点の結果が合格と不合格のボーダーラインの点数と同点で浪人ができない状況でこのまま第一志望に挑戦するのかランクを落として合格率を上げるか迷っていた時に新井先生の「やりたいことができるなら大学の名前は関係ない」という言葉が響いて教員免許が取得できて化学系の勉強ができる大学を探していたところ、以前まででは考えたこともない農学部を受験することに決めました。この受験先の決定は心塾に行っていなければ決断できていないことだったと思います。実際に鹿児島大学農学部に通い教員免許の取得はもちろん鹿児島でしかできないイモ焼酎について研究を行うようになり5年前の決断は大成功だったと思っています。大学でも小学校3年生から続けていた剣道を続け、3年連続で全国大会に出場できたこと、鹿児島でしか出会えなかったOBの方々先輩、後輩、同級生とのかけがえのない出会いも5年前の決断がなければ決して得ることのできなかった経験です。
私は中学3年生から高校3年生まで約4年間心塾に通わせていただきましたが、他の塾にはない塾生と塾長の近い距離感、少しでも分からなかったり困ったことがあったりすれば勉強でも私生活のことでも相談できるあの環境は心塾にしかないものだと言い切れます。塾を卒業してからでも相談に乗ってくださる新井先生のもとで受験時期を過ごせたのは私にとってはかけがえのない財産です。
私が心塾に籍を置いた3年半で学んだことは、
高校入学後、サッカー部に入ったものの、
その後、大学受験まで心塾に通い続けましたが、
今は佐賀大学の4年生ですが、他大学の大学院進学を目指し、
佐賀大学文化教育学部4年 古賀裕貴
(在籍期間:2009/9~2013/2)